法事のために、前日から叔母とその娘のいとこたちが実家に泊まりにきました。
このいとこっていうのが、母のお姉さんの娘の美人の三姉妹なんです。
子どもの頃、夏休みは毎年この三姉妹は、わたしの実家に2週間くらい泊まりに来ていました。
それは毎年とても楽しみにしていて、帰ってしまうとさびしくってぽっかりこころに穴があいちゃうほど大好きでした。
でも三姉妹ともとってもきれいでそれで気がきく子で、ずーーーーーーっとわたしは母から比べられてきまいした。
「なんでねえちゃんの子たちは三人とも気が利いて優しくて美人なのに、ゆりはこうなんだろ」って言われてました(今思えば、「美人じゃないのはあなたの遺伝。優しくないのは、あなたがそういう育て方をしたんだろ」って思うけど)。
いとこたちは東京に住んでて、お金持ちですごくおしゃれで、「原宿歩くとナンパされてうるさくってしょうがない」とか「モデルにならないかって声かけられた」とかよく言ってました。
わたしは、いなかもんで冴えない自分との違いにすごい劣等感を持っていました。
だから今回数年ぶりに会ったのですけど、とても緊張していました。
三人とも年はとってもあいかわらずきれい。
気が利くところも昔と変わらなくて、ひとりずつ台所に入っては、おつまみつくったりしてる(もちろんわたしもできないなりにお手伝いしました)
タヒチアンダンスをならっているいとこがダンスを披露してくれたり、楽しく話しをしていても、どうしても昔とリンクしちゃって、「自分って駄目だなあ」って自己卑下する思いがわいてきてしまいました。
そのあと、弟が昔録画したビデオをみんなで見ました。
生きてるころの祖母や、若いわたしたち家族、いとこたちも映ってるものもありました。
長女がまだちっちゃかったころのビデオを見ていたら、いとこのひとりが「みんな若かったね。みんな変わったけどいっちばん変わったのってゆりちゃんだね。このころと全然違うじゃん

すごくうれしかった・・・・・・
ありがとう、Tちゃん。
昔のわたし


いつもこれですみません。
そして今日のわたしです。

今日もジーナさんのワンピ(今は売ってません)

おつかいに行くときは上にカーディガンを来て行きました


見た目は変わったかもしれないけど、ダメなところはあいかわらずの自分です。
でも考え方も変えました。
ずっと自分のダメさ加減さばかり見て、自己否定を繰り返ししてきたけど、ダメな自分でいいって思える今、とても気持ちが楽になりました(その時その時にはいまだ落ち込んだりはしますが)
ダメなところがいっぱいある自分が好きです。
そしてダメだと思うところも本当はダメじゃないってわかってる

生きてる・・・・それだけですごいこと。
自分も周りの人も。
年月は、とてもやさしい・・・・・・・
ただただ神様に感謝しています。
そして昔も今も変わらずやさしく見つめてくれるパパに・・・
ありがとうございます

そしてわたしも周りの人にやさしくしていきます。
それが最高の人生だと思っています。
こんなふうに年をとれたらいいなあ

佐藤富雄
「小学校のときはそれほどでもなかった女性がすごい美人に成長していた・・・・・
このタイプは、ファッションセンスが磨かれていたり、こなれたメイクを施しているだけではありません
「わたしは美人!」と自分を信じて、美をつくりあげていったのです。
しかも昔の美人でなかった現実も受け入れ、謙虚な部分ももちあわせていますから、内面の美しさが自然と表面にあふれでてくるのです」

いつも本当にありがとうございます


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