2020年06月06日

結婚とコスパ(長女がまた来ています♪)

三連休の長女が、昨日からまた帰ってきています

今日は長女とふたりでおつかいにいきました。

それで今日は長女が手作りケーキを作ってくれました(材料費はわたしもち)
やったーーー!!

ここで次女はバイトへゴー!!
おこづかいがんばって稼いできなね。


ケーキができて、さっそくヲタクはこんな写真を撮る・・
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ぬいぐるみ用!?の小さな食器は、娘たちが小さいころ遊んでいたものとまったく同じのを、長女がメルカリでわざわざ見つけて買ったんだってー。
メルカリすごい!!


今日はパパに2回も散歩誘われて(どんだけ行くんだよー)、さすがに2回目は「わたしはもういいよー」って断ったんだけど、長女が「ママが行くならわたしも一緒にお散歩行きたい!」と言うので(「パパとふたりじゃやだけど」だって)、うふふー、わたしのことがそんなに好きなのねーとうれしくなってしまい「じゃあ行く!!」と3人でお散歩
パパ撮影
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おほほーどいなかでしょ(^^;)、でも散歩するには気持ちいいところよ。


今日の夕ご飯は最近週末恒例のパパのお好み焼きと、これまた長女が作ってくれたスープでした
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アルパカワインでかんぺいだい!!
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パパと長女にごはんやケーキを作ってもらえて、超ごきげんのわたしでした


ごはんとかをつくってもらえたのもあるけど、やっぱり我が子が帰ってきてくれるって一番うれしいよね(って、先週末も来てたけどね(^^;))。



最近の若い人は利口!?で、結婚はコスパが悪いからしないという人が多いみたい。

でもそれもったいないよ。

だって人生のこういう家族の楽しさ、うれしさ、しあわせは、コストパフォーマンスではかれるわけがないもん。


でもそうは言ってもわっかんねえだろうなあ。


実際コスパが悪いとしかいいようがない結婚も(離婚も)あるしねえ。


結婚はギャンブルかもしれないね。


結婚してからもう二十年以上も働かずしての両方を手に入れた(ことばー!)、わたしにとっての結婚のコスパは最高級だと思っていますよ。

え?パパ?
パパはわたしに稼いだお金全部まきあげられてるけど、それ以上にしあわせみたいだから、やっぱり結婚は最高なんじゃないでしょうかね
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posted by yuri | 幸福論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月04日

家族のことで苦しんでいる方へ

ゆうべ、バイトから帰って夕ご飯を食べてる次女に、「お仕事疲れたでしょう。あなたはえらいねえ」と頭なでなでしたら「うん!」とうれしそうでした。

「ママは仕事してないから、働いててすごいなーって思うよ」と次女をほめると、「ママだって、じい(義理父)のこと最期まで面倒みたじゃん」って次女が言ってくれたんです。

ちゃんと見てくれてるんだなって、うれしくなりました。


そうだよね、義理父とは最後仲悪く終わったけども、それでも義理父が生きてるころは、手がきかない義理父ができないことを日常的にしてあげ、救急車は二度ともわたしが一緒に乗ってったし、亡きあともお葬式も法事も(残された膨大なゴミかたづけも)やっている。

ずーっと一緒にいる次女もそう言ってくれてるし、素直に自分をほめてあげようと思います。

ゆりちゃん、本当によくやったね





結婚してから昨年までは、わたしにとって義理親との日々は戦国時代のようでした。

まだまだ義理父の介護といさかいが続いていくのだろうと思っていたら、ある日突然亡くなり、先週末に一周忌をおこなうことができました。

一周忌をいう節目が終わって思うこと。

義理親のことでたくさんいやなことがあったけど、やっぱりここから、そして結婚から逃げなくてよかったということ。



わたしはそのことを、やはりわたしの両親から学んだのかもしれません。

わたしの父はマスオさん状態で、母方の祖母と同居(母は三人兄弟の末っ子)してたのだけど、やはり祖母と父はものすごく仲が悪くて、祖母が認知症でボケるまで(祖母はきつい性格だったのだけど、よい方向へのボケ方だった)は、口なんてきいたことなかったんですね。

世間的には仲悪い家族に見えてたことでしょう。

だけど、それでも口はきかずとも祖母と一緒に住んであげていたから、祖母は母と何不自由なくいたわけで、それができたのは父がいてくれたからです。

仲が悪くても祖母と一緒に住んでいた、それだけで父は十分に義理母孝行だとわたしは思っているんです(父の長年の浮気もそういうものもあったんじゃないかと。だから父を尊敬こそすれ憎めないのです)


母は母で、祖母の亡き後、独身で勝手に暮らしてた父の弟が脳梗塞になったとき、ものすごくいやいやながらうちで引き取ったんです。
その後叔父は施設に入ることができたからよかったけど、そのときは入れるかなんてわかりませんでした。

父はたくさん兄弟がいたし、当時はまだ父の実家には親も生きてたんだけど、実家をとった兄弟も、叔父は東京で自営していた父の姉のところで一緒に仕事してたんだけどその姉も拒絶して、どこにも叔父の引き取り手がおらず、それまでほとんど叔父と交流もなかったうちに来ることになったんです。

それで叔父の食事の用意や病院の送り迎えを、母がすることになってしまった。
当時母はいつもわたしに叔父の愚痴を言ってばかりだったけど、その叔父をひきとるって行動こそがすごいと思います。


そんな両親を、わたしは心から尊敬しているんです。



だからわたしはたとえ家族関係がうまくいかなかったとしても、逃げない、見捨てない、そういう生き方のほうがずっと大切なんだっていう考えが根を張ったのかなと思います。

『苦労してでも愛を選ぶ』
『それで結果的に失敗になったとしても、そういう生き方をしたことが大切』


ほんとにね、この世の中、親に対して、義理親に対して、結婚相手に対して、兄弟に対して、そして子に対しても、自分にとってやっかいな相手から逃げたり、相手をはじめっから突き放す人がものすごく多い。

わたしの両親以外のすべての兄弟が逃げたし、うちの義理父とふたりで住んでた当時まだ独身だった義理弟も「俺はもうお父さんと暮らすのは無理だから、あんちゃんらが入ってくれ」と言って、近所に家をたてて義理父をわたしたちにおしつけるように出ていきました。


貧乏くじをひいたわたしたち。

でも何度もいいますが、結果がうまくいったか(仲良くやれたか)じゃなくて、相手を突き放さなかったか、逃げなかったかのほうが大事だと思う。


そしてそういう人には、しあわせなあたたかさみたいなものがある。

目には見えないけど、たしかに何かの力が働いてると思う。

両親たちはそういう人生を受け入れて、やりとげて、今ふたりはとてもしあわせそうです。
わたしたち夫婦も、そんな感じにやっとなってきた気がしないでもない。

それはこないだのブログにも書いたけど、面倒な人を突き放す人にはわかるわけがない、しあわせなあたたかさみたいなものが確かにあるんです。



今家族関係で苦しんでる人がたくさんいらっしゃると思います。

なんで自分ばっかり、こんな貧乏くじを・・
なんで同じ兄弟なのに、あっちは何もしないで・・
なんで、なんで?理不尽すぎる・・・・

わたしも結婚してから、ずーーーーーっとそう思ってきたんですよ。

だけど今ならわかります。


自分以外の人の犠牲になる(ようにこの世では見える)人には、与えられるものがあるんです。

自分のことばっかりの人生の人たちからみたら、なんの得もない苦労を背負ってバカに見えるかもしれない。

でもそういう自分のことばっかの人には、決して、ええ、決してわからないだろう、ものすごいもの(名づけるとするならというものかもしれない)、そういうものが与えられる(与えられるというより身につく)。


だから苦しいけどばかみたいじゃないんだよ、決して無駄じゃないよ。


人として、一番素晴らしことをあなたはしているんです。

自分を十分にほめてあげてください。

だから元気をだしてくださいね。
あなたは本当にえらい、素晴らしい人です
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2020年06月02日

ひとつの時代が終わった

先週土曜に、義理父の一周忌がありました。

四月に義理弟がうちに来たときに、パパがちらっと一周忌の日にちと時間を伝えましたが、ちゃんとわかってるか怪しいので、前日にわたしが「〇〇君に「明日一周忌だ」って電話したら?」と言ったんですが、「別にこなけりゃこなくてかまわない」と電話もかけないパパ。

結果、義理弟、よく伝わってなかったか、仕事をやすまなかったのかわからないけど来ませんでした。

息子なのに、近所に住んでるのに実の親の一周忌にこないって・・・・・・

長女にも特に連絡しなかったので、わたしとパパと次女だけでお経を聞いておわりました(ここの寺は家で行います)。


10年以上前に義理母が亡くなったときの一周忌には、20件以上もの親戚を呼んで盛大に!?法事を執り行いました(もちろん法事の後は会食しました)。
遠すぎてわたしが知らない親戚の人たちに、ただただ頭をさげまくっていた義理母の一周忌でした。


それが今や、息子さえもこないでわたしら三人のみ、もちろん会食なぞありませぬ。


あー、こんな日がくるなんて思いもできなかったあの頃。

あー、ひとつの時代が終わったのだなあとしみじみ実感しました。

もうわたしらだけで、こじんまりいけるね。



一周忌が済んだあとパパとふたりでお出かけしたのが、ちょうどもう10年以上前に自治会の班長として泊まりで行った那須です。

今住んでる義理父の敷地にいやいやながら引っ越してきて、すぐに自治会の班長が回ってきました(義理父は班長やその他をわたしらにやらせようともくろんで呼び寄せたってのもある)。

当時は自治会の班で年に一回一泊の旅行をしており(今は日帰りになり、パパに行かせています)、班長なのに不参加というわけにはいかず、まだ小さかった娘たちを家に残して二日間旅行に行きました。
引っ越したばかりで、まだ近所の方もあまり知らず、班長としてものすごく気をつかって、へとへとになった二日間でした。


その旅行に行ったのが、つつじが見ごろのちょうど今の時期だったんです。

なので、パパに「あの時の旅行で行ったつつじのとこを見てみたい」と言ったら、即「じゃあ今から行こうよ」ということで連れて行ってもらいました。


そしたらつつじのハイキングコースはあのころと同じでしたが、あのとき泊まったホテルはつぶれていました。

うしろに写ってるホテルが、わたしが班長のとき泊まって、今はつぶれてしまったホテルです。
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午前中の義理父の一周忌と同じように、あーひとつの時代が終わったんだなあと実感しました。



家に帰って、パパがお好み焼きを作ってくれるわきでテレビをかけたら、昔の歌謡曲をやっていて、中島みゆきが「まわる〜まわる〜よ、時代はまわる、喜び悲しみくりかえ〜〜〜し・・・」とうたってて、あーそのとおりだーって感動した。

次にゆずの栄光の架け橋がかかり「決してたいらな〜道で〜はなかった。けれど確かに歩んできた道だ」と。
あー、確かに歩んできたんだなあ。

いくつもの日々を超えて辿りついた今がある だからもう迷わずに進めばいい
本当だああああああああ

とひとりでうるうるしていた。

ら、のりピーの「碧いうさぎ」がかかった。

そしたらパパが「あー!この歌!!!!ママ覚えてる?」というんですが、なんのことだかわからなくて「何よ?」って言ったら「覚えてないの?この歌結婚したばっかりのころママがいっつも聞いてて、そのときママ(義理親たちのことで)悩んでて、すごくつらそうで、いつもくらーい顔してて、俺はこれからどうしたらいいのかわからなかったんだよ」って。

「碧いうさぎ」で、パパがそんなことを思い出すなんて。


そうだったんだ。
ふたりして真っ暗な中を手探り状態だったけど、確かにその道を歩いて、今に辿りついたね、わたしたち。


結婚して完全同居していたころ、義理母から聞いたことがある。
「結婚する前〇〇(パパ)に、「お母さんとはどんなにケンカしても何してもずっと親子だけど、ゆりちゃんとはそうはいかない。だから俺は、ゆりちゃんとお母さんたちがうまくいかなくなったら、ゆりちゃんの味方するから」って言われたよ」と。

その言葉のとおり、パパはいつもわたしを大切にしてくれました。
完全同居がうまくいかなくて離婚覚悟で家を出たときは、わたしについてきてくれた。
そして親たちがわたしに文句を言ったときには、義理親たちへの怒りで荒れて(義理親たちの)家具を壊したっけ。

わたしは確かにパパに守ってもらってきたと思います。

それでまたここに帰ってきた・・・

結婚して義理親のことで、数えきれないほど大変なこと、嫌でしょうがなかったことがありました。

今思うと、あのつらい日々がなかったら、こんなにパパとは通じ合えなかった気がします。

それはどんなにどれだけお金を積んでも買えやしないもの。

みんながみんな、人生のうちでこういうことを経験できるとは、夫婦の愛情を手に入れられるとは、限らない。
だからわからない人には、決してわかることはないだろうと思います。

そういうものを経験できたこの人生に、わたしは感謝しています。
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